「永遠に完成しないパズル」への切り替えー大学院生活2年目で変わったこと、変わらなかったこと

 

2022年もすっかり終わるころになりました。

このブログを書いている前日、連れ人が虫垂炎の再発で入院しました。

そんなわけでふと、この1年をしみじみ振り返る時間が生じて、その中で、大学院生活2年目で変わったことがあることに気づきました。

それと同時に、やはり変わらないものもあり、そうしたことについて書き留めてみようと思いました。

これから2回生に進級する方、同期の方、はたまた大学院の世界とは普段接点のない方も、「ほ~」と読んでいただければと思います。

変わらなかったこと

先に変わらなかったことを書くと、「HIVの研究をやっていこう」ということは、今年も特に変わりませんでした。

むしろ研究を進めるにつれて、あんな問題やこんな問題も見えてくるようになり、博士課程進学も決まったし、やっぱり僕はこのテーマで進んでいこうと思っています。

変わったこと

タイトルにも書いてますが、大学院生活、さらに大きく言うと研究生活とは「永遠に完成しないパズル」だと思います。

そして、ふと2年目でそのパズルに挑むための姿勢に切り替えられていることに気づきました。

「永遠に完成しないパズル」のような生活は、よく考えてみるとすごく独特な世界です。

世の中の多くの仕事は、完成させることが目標になります。

僕はウェブライター業を続けていますが、「こういう風に書いてくれ」と先方が示したルールに沿って記事を作りあげることがその仕事です。

完成というと大げさに聞こえるかもしれませんが、「完了」に言い換えれば、世の中の様々な仕事はそこを目指していることがわかります。

注文を受けたものを出すという仕事も「注文の完了」を目指してますし、何かを販売して買ってもらう仕事も「販売の完了」が目標と考えられます。

受験に合格するという完了、単位を取るという完了、無事に卒業するという完了も含めると、学業も実は「完成・完了」を目指すものがほとんどな気さえします。

それに対して、大学院での研究生活は驚くほど完成しないものだと僕は感じています。

研究テーマにおける問題点(僕ならHIV)が、研究が進めば進むほどよりたくさん見えてきますし、別の点では、どれだけ「できた」と思った発表資料や論文(レポート)にも、次から次へと新たな指摘が入ります。

発表資料が完成しても、論文やレポートが完成しても、そこに「課題」があることを自ら認め、その課題が何なのかを提示することが求められます。

僕にとって2021年(昨年)は、そうした研究生活の、橋から落ちて無力感を感じ、立ち直り、手探りで歩き出し、また橋を渡っては落ちて無力感に浸り、また立ち直って…を永遠に繰り返す感じがちょっとしんどいと感じることもありました。

ただ、向き不向きまでは考えませんでした。まだ研究初心者なんだから、しんどいけどそれが「向いていない」ことを示すとまでは言えないと思っていたからです。

そして今年の終わりになって、研究生活とはそもそも、そういうものなんだとわかりました。わかっただけでなく、腑に落ちた感覚もあります。

この2年で学会発表に複数回チャレンジできたので、その経験の影響も大きいです。

それと、とある共同研究に参加したことで、学生でなくとも(一人前の研究者になっても)指摘を受けて改善、また指摘を受けて改善、そして新しい課題がまた見える、というサイクルの繰り返しだということを目の当たりにすることができたのも、腑に落ちた理由の一つです。

パズルの最後の1ピースをはめようとしたら、パズルのフレームが拡大し、ピースも倍増する。だから永遠に完成しないけど、それこそが研究生活のやりがいなのだと、2022年末になって実感しています。

そこから「僕は研究に向いている」とまでは言い切れない気持ちですが、2021年と比べて、少なくとも「やりがい」はとても感じるようになりました。

改めて、すごく独特な世界だと思います。達成感とは無縁。

でも、やっとやりがいを感じられるようになったこの独特なフィールドを通して、2023年からはHIVの領域にもっと貢献できるよう、完成しないパズルを続けていきます。

今年もみなさん、ありがとうございました。