一言でまとめるなら、「悔い無し!」な2年間でした。
残せた業績
僕はこの2年間は「業績を残す」ことを中心にずっと動いていました。
どこかの記事で書きましたが、研究の世界は大変シビアで、どんなに素晴らしいプロセスがあっても業績を残せなければ評価してもらえないことに入学して気づいたからです。
そのため、僕の2年間はそれぞれの業績に対する過ごし方としての方が話しやすいので、まずは達成できたことをまとめます。
①1回生での学会発表(文献レビュー)
②2回生で学会発表×2(文献レビューと中間報告)
③課題研究優秀賞
④学位授与式での総代
①1回生での学会発表
京大SPHは一般的な大学院に比べて授業が非常に多いです。そのため、1回生のときは授業に追われている感覚がかなりありました。
その中で指導教員の提案で夏に初の学会発表にチャレンジすることになり、夏休み返上で準備していました。
あとで知ったのですが、京大SPHでは授業が多いこともあり、1回生で学会発表をすることはあまり一般的ではないそうです。
いま振り返ってみると、コロナ禍で授業がすべてオンラインの中、「周りの様子が見えない」ということが僕にとっては良い方向に働いたのかなと思います。
対面での交流も復活したいまの1回生の話を聞いていると、良くも悪くも他の学生の影響が多いなと感じます。
「みんながやっているから(やっていないから)」が学生生活での様々な選択の基準の一つになっている印象がありますし、同じ状況だったら僕もそういう風になってたと思います。
実は1回生での学会発表の時は、「きっとみんなやってるからやらなきゃ!」と思い込んで挑戦していまいた。
これまた良くも悪くもオンライン環境で他の学生の動きが見えなかったことで、逆に果敢に挑戦できたのかなと思います。
②2回生で学会発表×2
2回生では博士課程での研究に向けた文献レビューで1回、課題研究(修論に相当する研究)の中間報告で1回の発表を目標に年度初めから動いていました。
1回生で学会発表を経験していたことで、ここはかなりスムーズに達成できました。
③優秀賞と④総代
無事に達成したので言えることですが、僕は課題研究での優秀賞と、学位授与式での総代を最初から目指していました。
最初に言ったように業績を残すというのも理由の一つですが、それよりも、僕が大学院に入れてスムーズに研究生活を送れたのは、周囲のサポートが大きいとずっと思っていて、結果で恩返しをしようと思っていたからです。
入学時点で恩返しをしたいと思ったのは、連れ人や母、指導教員や友人でした。
2回生になってからは、そこに研究室のメンバーや、何よりも研究に協力していただいた方々が加わりました。
僕は大学院に入るまで紆余曲折波乱人生でしたが、その中で「自分のやりたいようにさせてもらった」という感覚がありました。
なんというか、自分のために好き放題やることには割ともう満足しきった感覚でしょうか…。
その中で僕は結構エネルギーを持て余していることに気づき、それを自分自身のために使うとある種の「過剰」になってしまい、時によくない結果も招くことに気づきました。
だから、大学院では、これまで自分自身に注いだ過剰な分の力を適切に他者のために使おうと思い、課題研究での優秀賞と総代を心の中で目標にしていました(なんか偽善っぽい話ですがw)。
総代の基準は実は実際になるまで知らなかったのですが、「業績評価で首席になる」ことが求められるようです(学内の情報なのでぼかして書いてます)。
無事に達成できたのでよかったですが、達成できなかったらこの目標は永久に叶わないまま胸の内に秘めておくことになったのかと思うとちょっと恐ろしいです…。
インタビューが人生を変えた
この2年間で一番の収穫は何だったかなと考えると、インタビューのトレーニングや実際のインタビューが僕自身の人生に与えた影響だと思います。
先日、質的研究の世界的な先生のワークショップを2週間受けていたのですが、その先生がインタビューのトレーニングについて、"train yourself(自分自身をトレーニングしなさい)"という表現を使っていました。
まさにその通りで、インタビューは確かに他の人と練習することも大事なのですが、それ以上に「自分自身での鍛錬」が必要になります。
"bracketing(カッコに入れる)"、これは、インタビューの相手の「声」に耳を傾けるために、自分自身の価値観を保留することを意味します。
たとえば、インタビュー実施者が違法薬物に対して良くない印象を持っているとします。しかし、研究に協力してくれた人から薬物使用の話が多く出てきました。
研究ではそこでインタビュー実施者は「違法薬物=悪」という価値観を保留することが必要です。なぜなら、それによって質問の仕方が偏ったり、相手を責めたりすることになり、協力者が本当に話したいことを話せなくなる、本当の「声」を聴けなくなることがあるからです。
"bracketing"は「言うは易し」で、日頃から意識してその思考の仕方を鍛錬しないとできません。
逆に言えば、僕たちは普段、人の話を聞いているようで、実は相手に話してほしいことを話させてることの方が多いんです。
これは僕の考えですが、"bracketing"を身につけるためには、その人なりの哲学を持つ必要があると思います。
僕がインタビューのために"bracketing"の修行を続ける中で抱いた哲学は、「共感と理解を切り離す」ということでした。
「共感」はよく使われる言葉だけど、僕は自分が同じようなことを経験していなければ、真の意味での共感は難しいと思います。
そして、修行を始める前の僕も含めて、多くの人は「共感できない=理解できない」としていると思います。
でも、「共感」が感情をフル稼働させるものだとしたら、「理解」はその人なりの理由や理屈、筋に耳を傾けることだと僕は思います。
極端な例ですが、何かしらの犯罪を犯した人がいて、僕はその人に共感はしません。でも、その人が犯罪に至った理由やその人の考えを理解することはできます。「ああ、そんな理由があったのか」と。
こうして共感と理解を分けると、僕はとても落ち着いてその人の話を聴けることに気づきました(あくまでも僕は、です)。
「ああ、そんな理由があったのか」から踏み込んで「なんてかわいそうだ!」とも思わないし、「なんて非道なんだ!」とも思いません。なぜなら最初から共感を目指さないので、「その人なりの筋」が聞ければ、満足だからです。
実際の研究では、僕はU=UというHIVのキャンペーンについてインタビューを行いました。
詳しいことは調べていただければと思いますが、U=Uはエビデンスベースのキャンペーンということもあり、パブリックヘルスの領域に身を置くと「ありがたさ」を感じるメッセージでもあります。
僕もU=Uについてそれを推進したいとか、良いものだという前提を持っています。
ただ、U=Uのメッセージの中心にある当事者の方々は、実際には複雑な感情を抱いていることも多いです。
そのため、実際のインタビューでは僕のU=Uに対する前向きな印象を保留して、そのネガティブな側面の話もしっかり聴けるようにと"bracketing"を意識していました。
そして、最終的にU=Uの良い側面も悪い側面も研究結果として多角的にまとめることができたので、修行をしていてよかったと思いました。
"bracketing"の修行は日常での人の話を聞く姿勢も変えた気がします。日々の生活の中で、人の話を落ち着いて聴けるようになったと感じています。
ありがとうございました!
無事に目標が達成できたというよりも、その先に目指していた「恩返し」ができたことで、全くの悔いがない2年間になりました。
連れ人や母、友達、指導教員や学友、そして、研究にご協力いただいた皆さんと、Twitterを通して交流していただいている皆さん、本当にありがとうございました。
今はこの2年間で初めてのちゃんとした長期休暇を満喫しているところです。
充電して、また博士課程も頑張ります。